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== 南海泡沫事件の概要 ==
===南海会社の苦悩===
[[南海会社]](The South Sea Company, 南洋会社とも)は[[1711年]]に[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]の[[ロバート・ハーリー]]によって設立された。イギリスの財政危機を救うため、国債の一部を南海会社に引き受けさせ貿易による利潤でそれを賄う目的でつくられた。[[スペイン]]とのアシエント条約によりスペイン領[[西インド諸島]]との奴隷貿易を行うという目的で設立されたが、密貿易やスペインとの関係悪化・海難事故等で本業はいっこうに振るわず、国債を引き受けるどころか南海会社の経営そのものも危うくなりつつあった。
 
===南海計画===
追い込まれた南海会社が苦し紛れに[[1718年]]に発行した[[富くじ]]が大成功をおさめたことが南海会社を金融機関に変質させる端緒だった。[[1719年]]、巨額の公債引き受けの見返りに額面等価<ref>額面等価ではなく時価での等価交換という点が南海計画の核心である。株価が高ければ国債と交換に譲渡する株は相対的に少なくてすむからである。その一方で、交換した国債の額面と同額面の株式発行権を南海会社は得、余剰分を売ることで利潤を出す仕組みである。</ref>の南海会社株を発行する許可を[[イングランド銀行]]との熾烈な入札競争の末に勝ち取った。これが南海計画である。
 
しかし南海計画はこの時点で破綻が予定されていた。イングランド銀行との競争のなかで積み上がった750万ポンドの上納金という重すぎる負担は南海会社にとってハイリスクな一発勝負しか残されていないことを示唆していた。そこで南海会社は以下の技巧で利潤を生み出そうとしていた。