「ローラ・インガルス・ワイルダー」の版間の差分

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'''ローラ・インガルス・ワイルダー'''('''Laura Ingalls Wilder''', [[1867年]][[2月7日]] - [[1957年]][[2月10日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[作家]]。彼女はその幼年期の体験に基づいた子どものための歴史小説シリーズを著した。最も有名な作品『インガルス一家の物語』は、[[NBC]]で『[[大草原の小さな家]]』としてテレビシリーズ化された。
 
==生い立ち==
ローラ・エリザベス・インガルスは[[ウィスコンシン州]]ピピンの近くで、チャールズ・フィリップ・インガルスおよびキャロライン・レイク・インガルス夫妻の間に生まれた。彼女は夫妻の5人の子どもの二番目であった。一家の生活の様子は彼女の半自叙伝的小説である『大草原の小さな家』の中に時代順に記された。彼女の幼年期に一家は中西部を頻繁に移動した。彼女は聡明な子供であったが、受けた教育は散発的なものであった。それは一家がしばしば学校も無い隔絶した地域で生活したことや、一家の金銭的な問題が彼女の教育を中断させたりしたためである。一家は最終的にダコタ領域のデ・スメットに定住した。彼女は同地で規則的に学校に通い、小学校の教師となり、1885年にはアルマンゾ・ジェームズ・ワイルダー(1857 - 1949)と結婚した。彼女は二人の子供をもうけた。一人は小説家、ジャーナリストおよび政治理論家のローズ・ワイルダー・レーン(1886 - 1968)、もう一人は1889年に誕生後すぐに死亡した息子がいた。
 
==生い立ちと結婚==
ローラ・エリザベス・インガルスは[[ウィスコンシン州]]ピピンの近くで、チャールズ・フィリップ・インガルスおよびキャロライン・レイク・インガルス夫妻の間に生まれた。彼女は夫妻の5人の子どもの二番目であった。一家の生活の様子は彼女の半自叙伝的小説である『大草原の小さな家』の中に時代順に記された。彼女の幼年期に一家は中西部を頻繁に移動した。彼女は聡明な子供であったが、受けた教育は散発的なものであった。それは一家がしばしば学校も無い隔絶した地域で生活したことや、一家の金銭的な問題が彼女の教育を中断させたりしたためである。一家は最終的にダコタ領域のデ・スメットに定住した。彼女は同地で規則的に学校に通い、小学校の教師となり、1885年には[[アルマンゾ・ジェームズ・ワイルダー]](1857 - 1949)と結婚した。彼女は二人の子供をもうけた。一人は小説家、ジャーナリストおよび政治理論家の[[ローズ・ワイルダー・レーン]](1886 - 1968)、もう一人は1889年に誕生後すぐに死亡した息子がいであった。
 
1880年代末にアルマンゾは[[ジフテリア]]の感染症に罹患し、脚が部分的に麻痺するようになった。最終的に脚の機能は回復したが、彼は余生を杖を用いて過ごさなければならなかった。アルマンゾの病気は一家の一連の災難の始まりであった。生まれたばかりの息子の死、火災による住居の喪失、数年間続いた干ばつによる負債は彼らに320エーカーの土地を手放させることとなった。
 
1890年、ワイルダー一家は[[サウスダコタ]]を去りアルマンゾの両親が成功した[[ミネソタ]]の農場に約一年間滞在し、続いて[[フロリダ]]へ移り住んだ。フロリダの暖かい気候はアルマンゾの療養のためになると思われたが、乾燥した平原で長く暮らしていたローラは南の気温と湿度に耐えられず、一家はすぐにデ・スメットへ戻り小さな家を購入した。