「錦江 (韓国)」の版間の差分

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{{Infobox 河川
|名称=錦江
|画像=[[File:Keum-river-bridge-in-Gongju.jpg|250px]]
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|脚注=
|出典=<!--[http://www.xxx xx川水系河川整備基本方針]-->
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{{韓国の事物|
|title=錦江
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|katakana=クムガン
}}
'''錦江'''(きんこう、クムガン)は[[大韓民国]]南西部の主要[[河川]]のひとつである

[[忠清全羅北道]][[長水郡]]の[[小白山脈]]に端を発し、全羅北道・[[忠清北道]]・忠清北道と[[大田直轄市|大田]]の道市境・[[忠清南道]]に入を通ったあとのち、忠清南道と[[全羅北道]]のを流れ、[[群山市|群山]](クンサンし)と[[舒川郡|舒川]]の市郡境で[[黄海]]に注ぐ。沿岸の[[江景邑|江景]](カンギョン)や河口の群山は物資の集散地として非常に栄えた。
 
忠清南道[[公州市|公州]]からは'''熊津江'''、忠清南道[[扶余郡|扶余]]からは'''白馬江'''({{interlang|ko|백마강}}、ペンマガン)とも呼ぶ。
 
錦江は[[三国時代 (朝鮮半島)|三国時代]]、[[百済]]にとって重要な水上交通路であった。公州には百済のがあった忠清南道・[[扶余郡熊津]]、扶余に錦江は'''白馬江'''(<span lang="ko">新都[[:ko:백마강|백마강泗沘]]</span>, ペンマガン)とも呼ばれがあり、川にまつわる多くの伝説が残されている。そのため、古代に日本・百済と[[新羅]]・[[唐]]との間で戦われた[[白村江の戦い]]が行われた'''白江'''・'''白村江'''は錦江と推定されている。
 
有名な歌謡曲の「夢見る白馬江」(<span lang="ko">꿈꾸는 백마강</span>, クムクヌン・ペンマガン)はこの川を歌ったものである。
 
明治時代初期には日本で'''長浦江'''({{lang-en|Basil bay}})と呼ばれており、明治11年(1878年)に[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[天城 (スループ)|天城]]が目測により河口付近の略地図を制作している。
 
== 外部リンク ==
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{{DEFAULTSORT:くむかん}}
[[Category:朝鮮半島韓国の河川]]
 
[[cs:Kŭmgang]]