「ZiS-2 57mm対戦車砲」の版間の差分

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当時の[[ドイツ]]の主力であった[[III号戦車]]や[[IV号戦車]]はZiS-2でなければ太刀打ちできないほどの重装甲ではなく、ZiS-2の小口径長砲身は生産コストが高くついたため生産は1941年中に371門で打ち切られたが、砲架は[[ZiS-3 76mm野砲]]に流用されながらも生産が続行された。
 
しかし、1942年末にドイツが開発した重装甲の[[ティーガーI]][[重戦車]]と[[T-34]]にならって傾斜装甲を取り入れた[[V号戦車|パンター]][[中戦車]]に対しては[[M-42 45mm対戦車砲]]では歯が立たず、ZiS-3でも側面か正面でも300mほどの至近距離からでなけれ対抗できなかった。このため国家防衛委員会はZiS-2を1943年6月15日にM1943 57mm対戦車砲として、また戦車砲型のZiS-4MをT-34-57駆逐戦車用として量産再開を指示、前者は終戦までに9,645門が製造された。しかし新たなZiS-2で編成された部隊が前線に到着したのは同年7月27日のことで、クルスク戦には間に合っていない。
 
小口径対戦車砲の存在価値が大きく低下したため1950年代半ばには陸軍から退役したが、空挺軍ではより長い間運用が続けられた。