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フィリピン戦での一式砲戦車の戦闘を加筆
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昭和20年1月8日、アメリカ軍はフィリピンのルソン島リンガエン湾に上陸した。戦車第二師団所属の機動砲兵第二連隊に配備された4輌の一式砲戦車は、この上陸してきた米軍を迎撃した。
 
ウミガン、ルパオで迎撃に当たった一式砲戦車は、あらかじめ各所に自走砲用の壕を掘ってその中に待機、砲のみを出した上で敵を引きつけた。米軍は戦車を前面に配置したうえで歩兵とともに前進、これを日本軍は歩兵を主体として防戦したものの、戦力の差は激しく後退を強いられた。歩兵部隊は自走砲より後方へ下がることも多かった。一式砲戦車は壕の中で待機し、十分に敵を引きつけたうえで連続射撃を開始した。突如として砲撃を受けた米軍にとり、一式砲戦車の位置を特定して素早く反撃するのは難しく、この隙に一式砲戦車は次の壕へと素早く移動した。引きつける段階で位置が暴露されれば撃破はまぬがれないが、ノモンハン戦生き残りの優秀な部隊幹部による遮蔽偽装は完璧であった。米軍の装備していたM4中戦車に対しても、一式砲戦車は待ち伏せ攻撃を加え、射距離500m程度から正面を貫徹し撃破している。こうして機動砲兵第二連隊の4輌は米軍の反撃を回避し、連日数百発の砲撃を加えて損害を与え、忍耐強く戦闘を続けた。
ウミガン、ルパオで迎撃に当たった一式砲戦車は、あらかじめ各所に自走砲用の壕を掘ってその中に待機、砲のみを出した上で敵を引きつけた。米軍は戦車を前面に配置したうえで歩兵とともに前進、これを日本軍は歩兵を主体として防戦したものの、戦力の差は激しく後退を強いられた。歩兵部隊は自走砲より後方へ下がることも多かった。
 
ウミガン、ルパオで迎撃に当たった一式砲戦車は、あらかじめ各所に自走砲用の壕を掘ってその中に待機、砲のみを出した上で敵を引きつけた。米軍は戦車を前面に配置したうえで歩兵とともに前進、これを日本軍は歩兵を主体として防戦したものの、戦力の差は激しく後退を強いられた。歩兵部隊は自走砲より後方へ下がることも多かった。一式砲戦車は壕の中で待機し、十分に敵を引きつけたうえで連続射撃を開始した。突如として砲撃を受けた米軍にとり、一式砲戦車の位置を特定して素早く反撃するのは難しく、この隙に一式砲戦車は次の壕へと素早く移動した。引きつける段階で位置が暴露されれば撃破はまぬがれないが、ノモンハン戦生き残りの優秀な部隊幹部による遮蔽偽装は完璧であった。米軍の装備していたM4中戦車に対しても、一式砲戦車は待ち伏せ攻撃を加え、射距離500m程度から正面を貫徹し撃破している。こうして機動砲兵第二連隊の4輌は米軍の反撃を回避し、連日数百発の砲撃を加えて損害を与え、忍耐強く戦闘を続けた。
 
機動砲兵第二連隊で一式砲戦車に搭乗していた朝井博一は、『この移動トーチカ作戦で、米軍戦車や兵員輸送の六輪トラックを数多く破壊し、多大の戦果をあげることができた。兵員輸送のトラックに榴弾が命中し、その瞬間、米兵たちが空に飛ぶのを見ると、つい喝采を叫んでいたが、敵とはいえ尊い人命が散華していたことに気付かなかった』と記している。
 
しかし、サンマヌエル、ムニオス、サンイシドロで繰り広げられた米軍との戦闘により、戦車第六、第七、第十連隊から成る戦車第二師団主力は、一月中には壊滅状態となった。戦車部隊の壊滅を受けて機動砲兵第二連隊の4輌はサンタフェへ後退した。ここでの機動砲兵第二連隊はイムガン峠に壕を設営し、日没後にイムガン峠の射撃陣地へ進出すると、そこからサラクサク峠に展開する米軍を砲撃、払暁にサンタフェへ後退する戦術をとった。

イムガン峠の道が米軍の砲撃により破壊されると、機動砲兵連隊はアリタオの密林に陣を設営、サンタフェに射撃陣地を構築し夜間砲撃を行った。この砲撃を阻止するために、米軍は戦爆各一個連隊の航空機を投入、連日捜索に当たったが発見することはできなかった。機動砲兵第二連隊が夜間に後方陣地へ後退していたためである。また移動に際し4両の一式砲戦車は樹枝を牽引、キャタピラの痕跡を隠した。戦後米軍はこの運用を賞賛した。
 
昭和19年3月31日の制圧射撃では十五糎榴弾砲3門、九〇式野砲2門、一式砲戦車4輌が参加、一千発の砲弾を撃ち込んだ。この砲撃と歩兵の夜襲によって、アメリカ軍第32師団はサラクサク峠前面の天王山から退却を余儀なくされた。
 
寡兵で戦闘を続けていた戦車第二師団であるが、4月18日に陣地偵察を行っていた松岡連隊長が負傷、後に戦死。25日には寺尾大隊長が戦死した。さらに26日、ボネに配置されていた一式砲戦車2輌が敵機に発見された。砲爆撃を受けて渡辺中隊長ほか数十名が戦死、横穴壕が崩され、1輌が埋没した。現在アバディーンに展示されている一式砲戦車は、米軍がこれを発掘したものである。
 
残余の一式砲戦車は戦車撃滅隊に配属された。5月28日、大隊副官を務める小牧少尉以下の2輌はアリタオ付近で砲爆撃を受け、大破炎上した。天城大尉の指揮する最後の一式砲戦車は6月3日、バンバン南方にあるジャンクションで撃破された。