「西郷吉二郎」の版間の差分

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*後妻:園(仁礼平蔵の妹)。
*子女:1男1女(ミツ《足立幾彦の妻、母は有馬氏》、[[西郷隆準]]《父を家祖として明治3年閏10月14日に西郷隆盛家より[[分家]]す。幼名勇袈裟。母は有馬氏》)
== 余談 ==
 
*西郷吉二郎は兄の隆盛が沖永良部島流刑中に、沖永良部島の[[土持政照]]に手紙を送っており、山田尚二著「西郷吉二郎の、土持政照あて書間」(「敬天愛人」別刷)に掲載された。
*吉二郎は江戸に滞在することの多い兄に代わり、西郷家の家政を取り仕切っていたという。兄の名代で藩の記録所に「差出」を提出したりした。
*文久2年(1862年)、西郷隆盛が2回目に配流された[[沖永良部島]]は終身流刑地で、配流時には知行や家財が没収されたという。西郷家も例外ではなかったが、石高41石余りはこの時までに処分済みだったので影響しなかったという。むしろ、この件で吉二郎をはじめとする兄弟全員が失職したことのほうが響いたという。
*西郷隆盛は常に「自分が国家の為、聊かご奉公が出来たのは、吉二郎が自分に代わって兄たる責務を果たしてくれたからの事で、自分は年齢の上からの兄で、実際の兄は吉二郎だ」と述懐していたという。
== 参考文献 ==
*宮下満郎「西郷家系図の紹介」(「敬天愛人」第23号別刷、西郷南州顕彰会が出版)、[[鹿児島県立図書館]]蔵