「奈良原三次」の版間の差分

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男爵
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[[男爵]][[奈良原繁]]の次男として生まれた。
 
{{和暦|1908}}、[[東京大学|東京帝国大学]]工学部造兵科を卒業して海軍少技士に任官した。飛行機の研究をはじめ、臨時軍用気球研究会の委員に任じられる。{{和暦|1910}}自費で奈良原式1号機を製作するが、エンジンの出力不足で離陸できなかった。{{和暦|1911}}、[[ノーム (エンジン)|ノーム]]50HPエンジンを装備する奈良原式2号飛行機を製作し、5月5日、[[陸軍所沢飛行場]]で自らの操縦で高度約4m、距離約60mを飛行の飛行に成功した。国産機による初めての飛行記録であるとされる(一方、{{和暦|1911}}4月24日に[[森田新造]]が大阪の城東練兵場で、距離約80mの直線飛行に成功したという記録もある)。
 
{{和暦|1912}}、[[千葉県]]の[[美浜区|稲毛海岸]]に民間飛行場を開き、[[白戸栄之助]]、[[伊藤音次郎]]らの民間パイロットを養成し、奈良原式4号機「鳳号」などを製作し、日本の民間航空の発展につくした。{{和暦|1913}}航空界から一旦引退する。{{和暦|1930}}に日本軽飛行機倶楽部の会長に就任した
 
==関連項目==
*[[日本初の一覧#航空機・空港]]
 
*[[稲毛民間航空記念館]] - 奈良原式4号機「鳳号」(レプリカ)
*[[青森県立三沢航空科学館#展示機種|青森県立三沢航空科学館]] - 奈良原式2号機(実大模型)
 
{{DEFAULTSORT:ならはら さんし}}