「アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー」の版間の差分

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[[1774年]]にベルナールの考えを発展させ形態による新しい分類体系を公表したが、完成にはさらに15年を要した。彼以前の[[リンネ]]による分類は雄蕊と雌蕊の数によって植物を分類していたので不自然な部分が多かったが、ジュシューの分類体系はより自然なもので、その後の顕花植物の分類すべての基礎となるものである。Genera plantarumについて[[キュヴィエ]]は、実験科学における[[ラヴォアジェ]]の業績に匹敵する画期的業績であると賞賛しているが、ジュシュー自身もキュヴィエや[[ド・カンドル]]の仕事から大いに影響を受けている。
 
[[1794年]]に新しい、前年設立された[[国立自然史博物館 (フランス)|国立自然史博物館]]の館長に任命された。[[1804年]]に医科大学の植物学教授になり[[1826年]]まで務めた。晩年はほとんど失明したが、息子のアドリアン=アンリAdrien-Henriも植物学者となり、彼の後を継いで博物館長を務めた。
 
著書:
*Genera Plantarum, secundum ordines naturales disposita juxta methodum in Horto Regio Parisiensi exaratam, anno 1774. MS. notes. Parisiis, 1789.
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