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そこで劉林は、王郎擁立を最終的に決断したと見られる。劉林らは赤眉軍が来るとの伝聞を更に煽り<ref>実際には、少なくとも[[樊崇]]ら赤眉軍の主力部隊は、黄河を渡ってくることはなかった。</ref>、王郎を擁立する正統性としたところ、多くの人はそれを信じた。
 
同年12月、劉林らは数百の車騎を率いて邯鄲に入城し、かつての趙王の宮殿で王郎を天子として即位させた。王郎は、劉林を[[丞相]]、李育を[[大司馬]]、張参を大将軍に任命している。さらに王郎は軍を派遣し、冀州・[[幽州]]を制圧した。王郎はまた、民衆が依然として漢を思慕していることから、漢に忠誠を尽くして死んだ[[テキ義|翟義]]が未だ死んでいないことを詔で強調するなどして、巧みに声望を獲得している。これにより、趙国以北・遼東以西は、王郎の支配下となった。また、そして劉秀の首級に10万戸の懸賞を設定し、これを捕えようとしている。
 
=== 劉秀に敗北 ===