「テリー・ゴディ」の版間の差分

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その後[[1995年]]、[[IWA・JAPAN]]に参戦。画鋲[[デスマッチ]]等を行いファンを驚かせた。[[1996年]]には[[覆面レスラー]]の'''ジ・エクスキューショナー'''('''The Executioner''')としてWWFに登場。[[ミック・フォーリー|マンカインド]]と怪奇派のタッグチームを結成し、短期間ながら[[ジ・アンダーテイカー]]と抗争した。[[1998年]]には[[WAR (プロレス)|WAR]]に登場。かつての三冠戦カードである[[天龍源一郎]]とのシングル戦が実現した。
 
ゴディは非常に強い痛み止めの薬を飲んでいたが、元来の酒豪であり、それと[[ちゃんぽん#形容としての「ちゃんぽん」|チャンポン]]していたという。現在で言う[[アナボリックステロイドホルモン|ステロイド剤]]の副作用もあり、精神的にも異常な行動が見えたことからそれが原因で全日本には呼ばれなくなったというのが真相である。IWA・JAPANに参戦時には、控え室で[[尿]]を垂れ流していたなどの行動も見られたという。持病の[[心臓病]]が悪化し、[[2001年]][[7月16日]]に[[テネシー州]][[チャタヌガ]]の自宅で[[心不全]]で急死。{{没年齢|1961|4|23|2001|7|16}}。
 
最後の来日は同年2月4日のIWA[[横浜文化体育館]]大会。死の直前に、[[プロレスリング・ノア]]を発足させた[[三沢光晴]]と旧交を温める様子がプロレスマスコミに流れたが、本人がノアに上がることはなく、一時息子のレイ・ゴディがノアに参戦するにとどまった。[[ジャンボ鶴田]]が苦手意識を持った数少ないトップレスラーで、[[1990年代]]前半には[[プロレス四天王]]の大きな壁として立ちふさがった名レスラーであったことから、ファンからは体調管理の甘さが悔やまれている。