「不戦勝 (相撲)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Takashieikou (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
36行目:
 
==エピソード==
*[[1954年]](昭和29年)5月場所、新入幕の[[若前田英一朗|若前田]]は[[虫垂炎|急性虫垂炎]]を注射で抑えて12日目に勝ち越し。その後、休場届を提出し[[割 (相撲)|割]]返しが行われたため、不戦敗なしで途中休場するというエピソードがあった。
*[[1962年]](昭和37年)11月場所6日目、十両の[[若浪順|若浪]]-[[高錦昭応|高錦]]戦、[[逆鉾与治郎 (昭和)|逆鉾]]-[[宮ノ花秀暉|宮ノ花]]戦、[[吉ノ岩義行|吉ノ岩]]-[[沢光幸夫|沢光]]戦と、1日に3番の不戦勝を記録した(いずれも左側の力士が不戦勝)。前例として[[1938年]](昭和13年)5月場所、十両において同様の記録があるが、特にこの時は3番連続不戦勝という珍記録である。ちなみに十両では少ないといわれる不戦勝の1場所における記録は[[1959年]](昭和34年)5月場所の5番が最多である。
*[[1978年]](昭和53年)5月場所千秋楽、[[序二段]]の富士ノ浦-川村戦。交通機関のトラブルのため富士ノ浦が取組に遅刻したが、相手の川村が病気で休場したため、両者不戦敗となった。遅刻で不戦敗となった前例は、1959年5月場所千秋楽、[[十両]]の一番[[吉井山朋一郎|吉井山]]-[[大鵬幸喜|大鵬]]戦。吉井山は14日目取組後、後援者と一緒に晩遅くまで飲酒し泥酔。翌日、千秋楽と知らされ急いで[[蔵前国技館|国技館]]へ向かったものの、すでに新十両大鵬の不戦勝が決まり、吉井山は不戦敗。吉井山は前日まで7勝7敗だったが、相撲を取らず負け越しが決まった。