「特殊潜航艇」の版間の差分

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== 日本の特殊潜航艇 ==
[[画像:Kure midget subs1.jpg|thumb|250px|呉軍港での[[蛟竜_(潜水艦)|蛟龍(特殊潜航艇)]]]]
[[ワシントン海軍軍縮条約|ワシントン]]・[[ロンドン海軍軍縮会議|ロンドン条約]]や、[[アメリカ]]などの[[列強]]との経済力、生産力の格差による[[海軍]]戦力の制限を補い、有事の際に有利に事を進めるため、[[大日本帝国海軍|海軍]]独特の着想と技術により生まれた秘密兵器が、特殊潜航艇であった。厳重な機密保持の元で[[1934年]]、[[呉市|呉]]にて試作第一号が完成。[[1937年]]には、これの改良型が完成した。若干の手直し、改造を加えつつ、秘密裏に搭乗員の訓練を開始。[[1940年]]からは特殊潜航艇の量産を開始した。最も代表的な特殊潜航艇は、機密保持のため'''甲標的'''と言う呼称を持つ。A標的、H金物とも呼ばれた。この名称のため航空隊から[[航空機]]攻撃用の標的として提供を依頼されるという一幕があった。
 
武装は、先端部に[[魚雷]]を2本装備している。本来は艦隊決戦に際し、敵[[艦隊]]の通る海域に潜伏させ、決戦前に魚雷をもって奇襲攻撃、敵戦力を漸減させて後の味方の戦いを有利に導くという構想で、洋上にて使用することを想定して設計されたがその機会はなく、実際には敵泊地への潜入攻撃に使用された。航続距離が短いため、作戦地点までは伊号潜水艦の前部甲板に載せて輸送され、作戦終了後は搭乗員の救出後、船底に装備されていた爆薬を用いる等して自沈処分されることになっていた。