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'''フェルディナント・テンニース'''
== 人物・略歴 ==
[[シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州]]生まれ。少年時代は豊かな農村で過ごし保守的な気質を育む。1872年に[[ストラスブール大学|シュトラスブル
基本的には反[[マルクス主義]]的であったが、[[労働組合]]や[[協同組合]]運動に積極的に参加、また[[フィンランド]]や[[アイルランド]]の独立運動を支援した。1881年に[[クリスティアン・アルブレヒト大学キール|キール大学]]の哲学・社会学の[[私講師]]、1913年に正教授となる。また、[[ドイツ社会学会]]の会長を1909~1933年にわたって務めた。1932~1933年には、[[ナチズム]]と[[反ユダヤ主義]]を公然と非難したため、キール大学名誉教授の地位を奪われることになった。
==思想・研究==
=== ゲマインシャフトとゲゼルシャフト ===
テンニースは、あらゆる[[社会的相互作用]]や[[集団]]を人間の思考と意思とがつくったものとして考え、そのなかで実在的・自然的な本質意思
== 著書 ==
*1887: ''Gemeinschaft und Gesellschaft'', Leipzig: Fues. ([[杉之原寿一]]訳『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』岩波文庫
*1896: ''[[
*1897: ''Der [[フリードリヒ・ニーチェ|Nietzsche]]-Kultus'', Leipzig: Reisland.
*1906: ''Philosophische Terminologie in psychologischer Ansicht'', Leipzig: Thomas.
*1907: ''Die Entwicklung der sozialen Frage'', Leipzig: {{lang|de|Göschen}}.
*1909: ''Die Sitte'', Frankfurt am Main: {{lang|de|Rütten & Loening}}.
*1917: ''Der englische Staat und der deutsche Staat'', Berlin: Curius.
*1921: ''[[カール・マルクス|Marx]]. Leben und Lehre'', Jena: Lichtenstein.
*1922: ''{{lang|de|Kritik der öffentlichen Meinung}}'', Berlin: Springer.
*1924, 1926, 1929: ''Soziologische Studien und Kritiken'', I, II, III, Jena: Fischer.
*1926: ''Fortschritt und soziale Entwicklung'', Karlsruhe: Braun.
*1927: ''Der Selbstmord in Schleswig-Holstein'', Breslau: Hirt.
*1931: ''{{lang|de|Einführung in die Soziologie}}'', Stuttgart: Enke.
*1935: ''Geist der Neuzeit'', Leipzig: Buske.
== 参考文献 ==
* 飯田哲也『テンニース研究――現代社会学の源流』(ミネルヴァ書房, 1991年)
== 関連項目 ==
* [[社会変動論]]
== 外部リンク ==
*[http://www.ftg-kiel.de/ Ferdinand-Tönnies-Gesellschaft]
{{DEFAULTSORT:てんにす ふえるていなんと}}
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