「九三式/一〇〇式火焔発射機」の版間の差分

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== 九三式小火焔発射機 ==
これは[[1933年]]([[昭和8年]]・皇紀2593年)に[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]に、[[一号火焔発射器]]の後継として採用された火炎放射器である<ref>[[陸軍技術本部]]「九三式小火焔発射機制式制定の件」[[アジア歴史資料センター]]、Ref.C01001336900</ref>。構造は背負い式燃料タンク2つの間に噴射用の[[窒素]]圧縮タンクが連結され、燃料には[[ガソリン]]と[[コールタール|タール]]を混合させた[[ゲル状]]燃料を使用した。燃料発火方式には当初は電熱線による点火方式がとられたが、[[満州]]方面など寒冷地などではこれらの発火方式では不向きとされ、後に[[拳銃]]弾による空砲点火に変更されている。
 
主に陸軍の工兵隊に配備されたほか、海軍陸戦隊にも配備されている。<!--(出典不明のため)[[満州事変]]{{要出典|時期的に制式前}}から-->[[日中戦争]]時に[[中華民国]]軍に対して使用され、[[太平洋戦争]]初期の[[南方作戦]]でも改良型の一〇〇式火焔発射機と共に陣地攻撃に使用された。
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一〇〇式火焔発射機は九三式小火焔発射機をその後改良したもので、[[1940年]]([[昭和15年]]・皇紀2600年)に制式採用された。構造は九三式とほぼ同様であるが、発射用のノズルを筒型調整式に変更したことから、噴射距離の調整が可能となった。使用回数としては1回につき1秒間使用したとして10回程度の噴射が可能であった。<!--(出典が不明のため)[[落下傘部隊]]が使用出来るように九三式に比べて軽量に作られている{{要出典|要目を見ると重くなっている}}。-->
 
採用された一〇〇式火焔発射機は採用後、[[1942年]][[2月14日]]に実行された陸軍落下傘部隊([[挺進連隊|挺進第2連隊]])による[[パレンバン]]への降下作戦「[[蘭印作戦#パレンバン空挺作戦|パレンバン空挺作戦]]」に使用予定であったが、一〇〇式火焔発射機を積んだ武器弾薬箱が風に流され予定位置に降下しなかった為に、使用できなかった。その後、[[ビルマの戦い]]など太平洋戦争初期の攻勢時には敵陣地の攻撃で使用され、また一部は海軍陸戦隊に供給されて使用された。しかし、防衛戦中心の大戦末期に移ると、陣地防衛に不向きな火炎放射器は徐々に使用されなくなった。守備側で火炎放射器を使用した場合、炎の位置から味方の守備位置が見つかってしまうからである。
 
== 注記 ==