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[[ファイル:GuerrilleroHeroico.jpg|thumb|180px|『[[ゲリラ戦争]]』の著者、[[チェ・ゲバラ]]。[[アルベルト・コルダ]]の撮影したこの写真のタイトルは「[[英雄的ゲリラ]]」である。]]
独立後、主としてアジアで、[[毛沢東主義]]の思想的影響を受けて社会主義革命を目指すゲリラが興ったが、大半が失敗し、[[中華人民共和国]]の影響下にはない[[キューバ]]の[[フィデル・カストロ]]と[[チェ・ゲバラ]]の反独裁ゲリラが成功をおさめた。その後、[[ラテンアメリカ]]では[[キューバ革命]]の影響をうけて[[親米]][[独裁政権]]・[[軍事政権]]に反対するゲリラが起こされるが、後に世界各国のゲリラの教本にもなった『[[ゲリラ戦争]]』で[[ゲバラ主義]]が標榜した、社会主義革命のために都市のプロレタリアによる蜂起ではなく、農村ゲリラ戦術を主要路線とするゲリラ闘争は、1967年10月にゲバラ自身が[[ボリビア]]で戦死したことにより重大な挫折を来した。その後ラテンアメリカにおける革命運動は、1968年の[[ペルー]]における[[フアン・ベラスコ・アルバラード]]将軍の社会主義を標榜した[[クーデター]]や、1970年の[[チリ]]における[[サルバドール・アジェンデ]]の[[平和革命]]など、1973年9月11日にチリ革命が[[チリ・クーデター]]によって終焉するまで、ゲリラ闘争以外で社会主義を達成しようとする動きに移行したが、チリ・クーデター後には[[国際通貨基金|IMF]]や[[世界銀行]]による構造調整を受け入れた軍事政権に対して再びゲリラ戦争が開始された。この種のゲリラ闘争は1979年の[[ニカラグア]]での[[サンディニスタ革命]]など成功するものもあったものの、[[グアテマラ内戦]]の諸勢力や[[コロンビア革命軍]]、[[センデロ・ルミノソ]]のように多くは敗北するか、長引く[[内戦]]ですべての当事者が疲弊し、さらに冷戦が終結するとかつてゲリラ側が掲げていた[[社会主義]]の大義は大きく歪み、1990年代になるとその一部は麻薬取引に資金源を見出すようになった。

なお、ニカラグアの[[コントラ]]やコロンビアの[[右翼]][[民兵]]組織([[パラ・ミリタリー]])のように、[[親米]]右派であり、[[アメリカ軍]]や[[アメリカ中央情報局|CIA]]に援助、教育を受けていた私兵組織もまた、ゲリラ戦(とテロリズム)を戦術として多用する事となった<ref>特異なケースであるものの、日本の[[三島由紀夫]]が主宰した[[民族派]]団体『[[楯の会]]』も(左翼革命発生時においての反動作戦としての)ゲリラ戦を研究対象としていた。</ref> 。また、後掲の[[キプロス]]におけるエノシス運動も、毛沢東などのゲリラ理論を踏まえたものであった
 
また、同時期の世界的な脱植民地化の潮流の中でも、[[西ヨーロッパ]]最貧国であり[[新植民地主義]]を行うほどの実力を持たなかった[[ポルトガル]]は植民地を手放さなかったため、ポルトガル領アフリカでは[[アミルカル・カブラル]]や[[アゴスティーニョ・ネト]]、[[エドゥアルド・モンドラーネ]]、[[サモラ・マシェル]]に指導された独立を目指すゲリラ部隊と[[ポルトガル軍]]の戦いが続いた。