「共謀共同正犯」の版間の差分

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経済準学士 (会話 | 投稿記録)
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しかし、[[日本]]の「犯罪計画の中心的立案者を首と為す」という思想、すなわち、犯罪の中心人物(主犯)こそが、正犯であるという実務の考え方を修正するには至らなかった。「最早、修正を迫る合理的・現実的理由が無い」との見解を持つ者も少なくない(また、ドイツにおいても、もはや、形式的犯罪論は通説とは言い得ない。共同正犯の分野において言えば、正犯概念を形式的に限界付ける形式的客観説は支持を失い、行為支配論が圧倒的通説となっている)。[[団藤重光]]、[[平野龍一]]に代表されるように、日本の学説上も、共謀共同正犯を肯定した上で、その成立範囲を適切なものにしようとする見解が通説といえよう。
 
また、犯罪計画の首謀者は、計画を立てて指示はするが、犯行には参加しない場合も多く(暴力団の親分・子分の関係がその典型例であろう)、かくの如き者を「従たる者」である教唆で割り切ることは、刑法に対する社会的な要請との齟齬を生じさせる可能性もある(といえよう。実際、法定刑の上では共同正犯でも教唆犯でも扱いには変更はないが(刑法60条、61条)、裁判実務上の量刑感覚においては従たる立場である教唆犯より正犯である共同正犯の方が重くなりやすいるのが通例であるといわれる
 
共謀共同正犯との対比から、共同実行を行った共同正犯類型を、'''実行共同正犯'''と呼ぶことがある。
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==判例==
*'''[[練馬事件]]'''(最高裁[[19571958年]](昭和33年)5月28日大法廷判決)
**共謀共同正犯が成立するためには、2人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となって互に他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よって犯罪を実行した事実が認められなければならない。
**他人の行為をいわば自己の手段として犯罪を行ったという意味において、その間刑責の成立に差異が生じると解すべき理由はない。