「松山千春」の版間の差分

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== 略歴 ==
[[北海道]][[足寄郡]][[足寄町]]出身。[[北海道足寄高等学校]]卒業後、[[1975年]]に「全国フォーク音楽祭」の北海道大会に出場するも落選。しかし[[STVラジオ]]の[[竹田健二]][[ディレクター]]に見出され、[[1976年]]に同局の「[[サンデージャンボスペシャル]]」内の15分コーナー『[[千春のひとりうた]]』でメディアデビュー。続いて翌[[1977年]][[1月25日]]、「旅立ち」でレコードデビューを果たすが、同年[[8月27日]]、二人三脚で歩んできた竹田が急性心不全のため36歳で急逝し、一時失意に陥る。しかしこれが契機となり、同年10月には個人事務所として「オフィス・パンタ」(現在の[[オフィス・ゲンキ]])が設立され(正式な法人設立は[[1978年]][[1月17日]])、千春をバックアップすることになる<ref>『松山千春 - さすらいの青春』([[富澤一誠]]著、[[立風書房]]、[[1979年]])pp.166 - 176</ref>。
 
[[画像:CHIHARU'S House in Ashoro.JPG|300px|thumb|right|足寄町にある「千春の家」に掲げられた似顔絵]]
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[[Category:日本のシンガーソングライター]]
[[Category:日本のフォーク (ポピュラー音楽)]]
[[Category:日本の芸能プロモーター]]
[[Category:北海道出身の人物]]
[[Category:1955年生]]