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Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
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南宋時代の新しい[[儒学]]([[朱子学]])の大成者である朱熹は、[[程顥]]・[[程頤]](二程)らの思想をもとに、[[仏教]]思想の論理体系や[[道教]]の手法を取り入れつつ、[[儒教]]独自の新たな理論として壮大な体系に仕立て上げ、'''程朱学'''と称された。朱熹は'''[[宋明理学|理気二元論]]'''を導入し、「理」(天地万物の法則)と「気」(万物を構成する要素)は不離不雑であり、人倫道徳においては人間の持つ「性」(人の善なる本性<ref>朱子学においては、[[孟子]]の[[性善説]]に伴い、性はもとより善とし、「気」によって悪に引きずられがちな心を[[居敬]]・[[静坐]]・[[格物致知]]などの修養や読書によって善に戻すことを重視した。</ref>)「情」(感情や欲望)のうち「性」こそが「理」であるとする「[[性即理]]」説を唱えた。これを'''性理学'''と称する。
 
いっぽう、同時代の陸象山は心(性)と「理」は一体であるとし、朱子学のように両者を区分せず、人間の心そのものが「理」であると肯定する「[[心即理]]」説を唱えた。これを'''心学'''と呼ぶ。朱熹は陸象山の心学を批判し、逆に陸象山の兄[[陸九齢]]([[字]]は子寿)らは朱熹に書状で難するなど、両者の論は互いに交わることがなかった。
 
==鵝湖寺の約会==