「京極高国」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
11行目:
{{武士/兄弟|'''京極高国'''、[[京極高治]]、[[京極高勝]]、<br />[[京極高明 (高広の子)|京極高明]]}}
{{武士/妻|正室:[[伊達政宗]]の娘}}
{{武士/子|[[京極高規]](長男)、京極高甫(三男)、<br/>京極高林(五男)、娘([[立花種明]]継々室)
{{武士/終了}}
元和2年(1616年)、第2代藩主・京極高広の
なお、改易されたとき、家臣の[[落合主税助]]らなど一部が[[宮津城]]明け渡しに応じず、一時は籠城して徹底抗戦しようとまでしたが、高国が説得することで開城している。このことから、暗君ながら家臣に慕われていた一面があったものと思われる。
|