「ベアトリチェ・シフィドニツカ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
TobeBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 変更: pl:Beatrycze świdnicka
編集の要約なし
6行目:
1301年に父ボルコ1世が若くして亡くなると、ベアトリチェとその兄弟姉妹は母方の叔父であるブランデンブルク=ザルツヴェデル辺境伯[[ヘルマン (ブランデンブルク=ザルツヴェデル辺境伯)|ヘルマン]]の後見下で養育された。1305年、ボルコ1世の後継ぎ息子であるベルナルトが成人して領国を統治し始めるに伴い、ベアトリチェと他の兄弟の後見人の地位はベルナルトに移った。ベルナルトはバイエルンと同盟を結ぶことを望み、姉のベアトリチェに上バイエルン公[[ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ルートヴィヒ4世]]との縁談を持ち込んだ。ベアトリチェとルートヴィヒとの結婚式は1308年10月4日に執り行われた。ベアトリチェは夫との14年間の結婚生活のうちに6人の子供を産んだが、うち成人したのは3人だけだった。
 
夫のルートヴィヒ4世は1314年10月20日に[[ドイツ王]]に選出された。しかしルートヴィヒに反対する陣営はオーストリア公[[フリードリヒ3世 (ドイツ王)|フリードリヒ(美王)]]を10月19日にドイツ王と宣言していた。2人のドイツ王位をめぐる争いは、ベアトリチェの存命中に解決に向かうことはなかった。このため、ベアトリチェのドイツ王妃の称号は、フリードリヒの妻イサベル・デ・アラゴンのそれと並立する状態にあった。ベアトリチェは夫が神聖ローマ皇帝として正式に戴冠する6年前に亡くなった。ベアトリチェの死の2年後、ルートヴィヒ4世はエノー女伯[[マルガレーテ・フォン・ホラント|マルガレーテ]]と再婚した。
 
== 子女 ==