「新潟市陸上競技場」の版間の差分

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新潟市は、[[昭和時代|昭和]]初期に行われた[[信濃川]]両岸の埋立地開発の一環として、白山公園に隣接する南側の埋立地を運動公園として整備することとし、陸上競技場、野球場、庭球場などを建設することになった。運動公園には後に「白山総合運動場」の名称が付与され、このうち新潟市営白山陸上競技場は[[1936年]]に開場した。当時の運動場周辺は開発途上で、夜になると人気(ひとけ)がほとんどなくなる上、繁華街からやや離れたところに位置していることなどから、夜間になると逢引きの場と化していた、という話も残っている。
 
[[1964年]]の[[国民体育大会]]が新潟県で開催されることになり、白山競技場がメイン会場となるのに伴い、県に移管して改築工事を実施。「新潟県営新潟陸上競技場」と改称し、竣工後の運営管理は市が引き続き受託した。この年の国体は、[[東京オリンピック]]が平年の秋季大会開催月にあたる[[10月]]に行われることを考慮し、それを6月に前倒して春季大会として開催。期間中は県内外から多くの人々が訪れた。しかし閉会式から間もない[[6月16日]]、[[新潟地震]]で被災。一帯は元々埋立地だったことから[[液状化現象]]が発生し、競技場も土盛りスタンドの崩落や仮設スタンドの崩壊など甚大な被害を受けた。
 
[[1983年]]、所有権は再び県から市に移管した。しかしトラックは当時既に一般的だった全天候舗装ではなく、砂敷きのサンドトラック。フィールド内の高麗芝も全く生え揃わず、バックスタンドもあちこちで芝の剥がれや崩落が見られるなど、県内最大の収容能力を有する陸上競技場としては非常に貧弱なものだった。市に移管した後に改修工事が施され、全天候型トラックとなった。
 
1990年代に入ると、新潟市にJリーグの公式戦を誘致しようという声が県内政財界を中心に上がり、市はこれに呼応する形で大規模な改修を実施。バックスタンドをコンクリート張りにして全席ベンチ席とし、ナイター設備を新規設置してJリーグ公式戦の開催要件を充足。[[1995年]]に初のJ公式戦として[[柏レイソル]]対[[サンフレッチェ広島]]戦が開催された。通常、陸上競技場やサッカー場のスコアボードはメインスタンドから向かってバックスタンド左側に設置されることが多いが、新潟市陸上競技場では右側(南側)に設置されている。これはバックスタンド北側後方に新潟市役所第三分館があり、日照を確保するための措置とのことである。
 
[[1998年]]からは[[アルビレックス新潟]]のホームスタジアムとなっているが、[[2001年]]に[[新潟スタジアム]](東北電力ビッグスワンスタジアム)が完成したのに伴い、公式戦は全て新潟スタジアムでの開催に切り替わった。ただ、同クラブは現在も双方をホームスタジアムとして登録しており、競技場は練習やプレシーズンマッチ、サテライトや[[アルビレックス新潟レディース|レディース]]等の下部組織の公式戦などで使用されている。
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==沿革==
*[[1936年]] 「新潟市営白山陸上競技場」として開場。
*[[1963年]] 新潟春季国体に合わせ、県に移管して改築され新潟県営新潟陸上競技場」に改称。
*[[1964年]] [[新潟国体]]春季大会のメイン会場となる。
*[[1982年]] 「新潟[[マラソン]]」のスタート・ゴール地点となる。
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{{succession box|title=[[国民体育大会]]<br />主競技場|before=[[維新百年記念公園|県営陸上競技場]]<br />([[山口市]])|after=[[岐阜メモリアルセンター|岐阜県営グラウンド]]<br />([[岐阜市]])|years=[[トキめき新潟国体|新潟国体 (1964年)]]}}
{{End}}
[[Category{{DEFAULTSORT:Jリーグ公式戦開催競技場|にいかたしりくしようきようきしよう]]}}
[[Category:中部地方の陸上Jリーグ公式戦開催競技場|にいかたしりくしようきようきしよう]]
[[Category:中部地方の陸上競技場]]
[[Category:新潟県のスポーツ施設|にいかたしりくしようきようきしよう]]
[[Category:中央区 (新潟市)|にいかたしりくしようきようきしよう県のスポーツ施設]]
[[Category:アルビレックス中央区 (新潟|にいかたしりくしようきようきしよう市)]]
[[Category:アルビレックス新潟]]
 
[[en:Niigata City Athletic Stadium]]