「イッズッディーン・アイバク」の版間の差分

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こうしてアイバクはエジプトのスルタンとなったが、シャジャル・アッ=ドゥッルはアイバクとの再婚に際し、既に高齢で妻子もいたアイバクに離婚させ、また自身の管理するサーリフの遺産をアイバクに譲らずに保持して権力を握りつづけたため、アイバクとシャジャル・アッ=ドゥッルの利害関係は対立に転じた。また、先代サーリフの子飼いのマムルークとしてアイバクよりもシャジャル・アッ=ドゥッルに忠誠を誓うバフリーヤの間の関係も緊張したものとなり、アイバクはこれに対抗するために自らの子飼いのマムルーク軍団を養成し始めていた。[[1254年]]、アイバクは前年休戦したアイユーブ朝との戦いで大いに活躍したバフリーヤの指導者アクタイが略奪暴行を行ったことをきっかけにバフリーヤの排除を敢行し、アイバク子飼いのマムルークの将軍[[クトゥズ]]がアクタイを殺害した。[[バイバルス]]ら残余のバフリーヤはアイバクを怖れてシリアに逃れ、アイバクは自身の権力を安定化させることに成功したが、バフリーヤがダマスカスのアイユーブ朝のもとに逃れたために再びシリア方面での戦役に専念しなくてはならなくなった。
 
アイバクはシリアのアイユーブ朝との戦いにおける後顧の憂いを絶つために周囲の[[ムスリム]](イスラム教徒)諸君主との友好に努めたが、[[イラク]]の[[モースル]]のアミールと友好を深めるためにアミールの娘との縁組を行おうとしたことが命取りとなった。後ろ盾であるバフリー・マムルークを失って孤立無援となっていた前スルタンのシャジャル・アドゥッルは、サーリフの寡婦として夫アイバクのスルタン位を保証していた自身の地位がアイバクの縁談によって脅かされることを悟り、1257年、先手を打って宮廷内でアイバクを殺害させた。しかし陰謀はすぐに露見し、シシャジャル・アッ=ドゥッルもまたアイバクのマムルークたちによって殺害された。アイバクの後継のスルタンには彼の先妻との間の子、アリーが即位したが、やがて若く力のないアリーは、[[バグダード]]を征服してアッバース朝を滅ぼした[[モンゴル]]軍がシリアに迫るという国難のさなかに父のマムルークの最有力者であるアミール、クトゥズによって廃され、アイバクの王統は2代で途絶えた。
 
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