「マイク・シュミット」の版間の差分

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{{by|1971年}}[[ドラフト会議 (MLB)|ドラフト]]2巡目でフィリーズに入団。{{by|1972年}}9月12日にメジャーデビューを果たし、同年13試合に出場。翌{{by|1973年}}には132試合に出場し、三塁手のレギュラーに定着。しかし、打率.196の低打率に終わり、シーズン終了後に[[プエルトリコ]]の[[ウィンターリーグ]]で、当時フィリーズの監督だった[[ダニー・オザーク]]や打撃コーチの[[ボビー・ワイン]]からのアドバイスもあり、ゆったり構えていた打撃フォームを投手に背中が見えるくらいにねじり、背中をゆすりタイミングを合わせるという打撃フォームへ変更<ref name="maj200611">[[芝山幹郎]] 「誇り高き歴史を築いた男たち/マイク・シュミット 長打と好守で鳴らしたフィラデルフィアの鉄人」『[[月刊メジャー・リーグ]]』 2006年11月号、[[ベースボールマガジン]]社、2006年、[[雑誌コード|雑誌]] 08625-11、84 - 85頁。</ref>。
 
{{by|1974年}}6月10日、[[アストロドーム]]で行われた対[[ヒューストン・アストロズ|アストロズ]]戦では打球が本塁から329フィート(約99m)100m)、地上35フィート(約35メートル)10m)の天井からつるしてあった[[スピーカー]]に直撃。ボールはフィールドに落下し、[[グラウンドルール]]によりインプレーとなった<ref name="maj200611"/>。36本塁打を放ち初の[[ナショナルリーグ]][[最多本塁打 (MLB)|本塁打王]]となり、以後、1976年まで3年連続でナ・リーグ本塁打王となった。{{by|1975年}}4月には当時のメジャータイ記録に並ぶ11本塁打を記録<ref>{{Cite web|url=http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=mike_schmidt_1949&page=chronology|title=Mike Schmidt from the Chronology|work=BaseballLibrary.com|language=英語|accessdate=7月4日|accessyear=2009年}}</ref>。{{by|1976年}}4月17日の[[シカゴ・カブス|カブス]]戦では1試合4本塁打を記録。シュミットにホームランを打たれた[[投手]]の内訳を見ると、最初の2本が[[リック・ラッシェル]]、3本目は[[マイク・ガーマン]]、そして4本目は[[ポール・ラッシェル]]と、リックとポールのラッシェル兄弟から3本のホームランを放っている。試合は3回終了時に13対1でカブスがリードしていたが、延長10回にシュミットの本塁打で、18対16でフィリーズの勝利となった<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/boxes/CHN/CHN197604170.shtml|title=April 17, 1976 Philadelphia Phillies at Chicago Cubs Play by Play and Box Score|work=Baseball-Reference.com|language=英語|accessdate=7月4日|accessyear=2009年}}</ref>。
 
{{by|1980年}}には、48本塁打、121打点で二冠王となりフィリーズの地区優勝に大きく貢献。満票で初のナ・リーグMVPに選出される。同年の[[1980年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]でもフィリーズ初の世界一に貢献し、シリーズMVPにも輝いた。{{by|1981年}}はストライキのためシーズンが短くなったが、102試合で31本塁打・91打点で昨年に続き二冠王となり、ナ・リーグMVPに選出された。{{by|1983年}}は40本塁打・109打点を記録し、3年ぶりに40本塁打・100打点を達成。[[ボルチモア・オリオールズ]]との[[1983年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では20打数1安打に終わり、チームは1勝4敗で敗れた。シーズン終了後には年俸210万ドルの4年契約に合意。[[リック・シュー]]が三塁手、シュミットは一塁手として{{by|1985年}}は出場したが、{{by|1986年}}からは再び三塁手として出場。1986年は37本塁打・119打点で二冠王となり、5年ぶり3回目のナ・リーグMVPに選出された。