「高山右近」の版間の差分

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== エピソード ==
*羽目を外さない非常に真面目な人物だったらしく、秀吉を始めとする諸将がそのことを褒め称える証言や数々のエピソードが残されている。[[織田長益|織田有楽斎]]の「喫茶余禄」による右近の茶道の評価は「作りも思い入れも良いが、どこか『清(きよし)の病い』がある」というものだった。
*[[ルイス・フロイス]]の「日本史」によると、高槻城下である村人が亡くなった時、当時は[[賎民]]の仕事であった棺桶を担ぐ仕事を率先して引き受け、領民を感動させたという。
*バテレン追放令が出たときのこと。秀吉は右近の才能を惜しみ、茶道の師匠である千利休を遣わせてキリスト教の棄教を促したが、主君の命令に背いても志を変えないのが真の武士であると答え、利休に説得を諦めさせた。