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基本的に無口で、めったなことでは口を開かなかった。早稲田野球部の後輩である[[飛田穂洲]]は、「運動場における押川君は口をきかぬ人であり、笑わぬ人である。(中略)しかし一度親しめば真に忘れることのできない人である」と評している。また、「押川の魂の中には、一切虚栄心というものを含んでいなかった。(中略)虚栄心をもたぬ人ほど、信念に対して忠実なものはない。これが、正しいと思えば必ず断行する。情実というものがない。押川はまさにそうした人であり、吾々に与えた感化は[[安部磯雄|安部先生]]と共に実に大きい」とも述べている。
 
[[File:Maeda's junior high school days.jpg|right|150px|thumb|押川(右)と[[前田光世]](左)]]
==その他==
*押川兄弟が幼い頃、渡米していた父・方義に本場アメリカの野球ボールを送ってくれるように頼んだことがあった。しかし方義は野球を知らなかったのでサッカーボールを送ってしまい、押川兄弟は「アメリカのボールはこんなものなのか」と思いながら無理やりキャッチボールをしていた。