「ディアーヌ・ド・ポワチエ」の版間の差分

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ディアーヌは67歳で死んだ。彼女の望みもあり、ディアーヌの娘は城の近くに霊安堂を建てて彼女の墓とした。
 
[[フランス革命]]の折にディアーヌの墓は暴かれ、彼女の遺骸は[[集団墓地]]に投げ込まれた。2008年にフランスの学者が、共同墓地を調査した結果、一体の女性の遺骨を、下あごの骨と肖像画との照合した結果と、乗馬中の骨折の記録と一致する骨折の痕のあることあることからディアーヌの遺骨を断定した。この遺骨は後述する「金のエリクサー」による金中毒であったという調査結果を補強する証拠ともなった。これら遺骨は2009年に本来の墓所に改葬された。
 
[[1866年]]には彼女の書簡が公開されている。
 
* 子孫に、イギリス王族[[マイケル・オブ・ケント|ケント公爵息マイケル王子]]夫人[[マリー=クリスティーヌ (マイケル王子夫人)|マリー・クリスティーヌ]]や、[[フランス]]国王[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]妃[[マリー・アントワネット]]の友人で女官だった[[ランバル公妃マリー・ルイーズ]](1749~1792)がいる。
 
== 金のエリクサーで中毒死 ==
2009年12月に英国のBritsh Medical Jurnalは、フランスの科学者が彼女の遺髪から高濃度の[[金]]と[[水銀]]が検出された事実を報道。同時に、科学者たちは共同墓地から彼女の遺骸を特定し、それらも分析したところ、結果、[[ジエチルエーテル]]に[[塩化金]]を溶かした「金のエリクサー」を使用した結果の金中毒で、彼女は死亡したという結果を発表した。
 
== 映画 ==