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例えば幕府の直臣の場合、[[旗本]]・[[御家人]]などは[[知行]]地を与えられ、その知行地から収納する年貢米が収入となる([[知行取り]])。しかし中・下級の旗本や御家人の中には知行地を与えられず、[[幕府]]の[[天領]]から収納され幕府の蔵に納められた米から、俸禄として現物支給された者たちもいた。この現物支給される米のことを蔵米と言い、こうした者たち、あるいはその階層のことを「'''蔵米取り'''」とされた。蔵米取りの者の禄高は「蔵米三百俵」のように俵数で表されるのが一般的であった。蔵米取りの場合、俸禄は年3回に分けて支給されるのが常で、2月と5月に各1/4、10月に1/2が支給された。それぞれ「'''春借米'''」「'''夏借米'''」「'''冬切米'''」と呼んだ(「借米」は「かしまい」と読む)。ただし、俸禄は全量米だけで支給されるわけではなく、米の一部はその時季の米価に応じて金銭で支払われるのが通例であった。[[浅草]]の[[札差]]がそれらの米を百俵に付き金1分の手数料で御米蔵から受取り、運搬・売却を金2分の手数料で請け負った。
 
幕府では1俵=3斗5升入(35(0.35石)、[[加賀藩]]では1俵=5斗入で換算されていた。米の品質は、幕府の場合、上米・中上米・中米・中次米の4等級にわかれ、高職者に上米、並の役職者に中米、無役者に中次米を支給していた。
 
俸禄としては知行取り1石=米1俵、米35石=100俵、1人扶持=米5俵で換算されていた。つまり、知行取り100石=蔵米100俵=現米35石=20人扶持=金35両(名目レート:現米1石=1両換算)となる。
 
諸藩においても、中・下級[[家臣]]の俸禄を蔵米とする場合があった。また特に[[譜代]]諸藩などでは、家臣に実際に知行地をあたえる[[地方知行]](じかたちぎょう)が次第に形骸化し、知行を与えられながら実際は蔵米を支給される例も多くなっていった。このような形態を蔵米知行と呼ぶ。