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祖父の干統は、[[呉 (三国)|呉]]の奮武将軍・都亭侯、父の干瑩は丹楊県丞をつとめていた。
 
その才能により召されて佐著作郎として朝廷に仕えはじめ、地方官の反乱平定に功があり、関内侯になった。[[王導]]の推薦により[[元帝 (東晋)|元帝]]に認められて国史編纂の任務を兼任するようになる。そして[[司馬懿|宣帝]]から[[愍帝 (西晋)|愍帝]]までの事績を『晋紀』に著して好評を得(現在は散逸)。官界のキャリアについては、山陰県令、始安太守を歴任し、中央政界では司徒右長史をへて散騎常侍に至った
 
また、身内が体験した奇怪な出来事をきっかけに、世間に伝わる不思議な人物や事件の記録を集めて志怪小説集『[[捜神記]]』を撰するした。他の著作に『春秋左氏義外伝』や『[[易経|周易]]』の注があるが、現在ほとんど伝わっていない。
 
[[Category:中国史の人物|かんう]]
[[zh:干宝]]