「五色の賤」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m sty
1行目:
'''五色の賤''''(ごしきのせん)とは、[[古代]]日本における[[律令制]]の元で設置された被差別身分である。稀に中世の被差別民や江戸時代の身分制度と深いつながりを持つ近現代日本の被差別部落と同等視して、[[古代部落]]と呼称することもあるようであるが、部落的共同体を持ったわけでもなく、現在の[[部落問題|部落差別]]との関係性はみられない。
 
== 概要 ==
 
[[7世紀]]後半に日本に導入された[[律令制]]は、中国のそれに倣って、国民を[[良民]]と[[賤民]]とに大別する[[良賤制]]を採用した。日本においては、良民は官人、公民、品部(しなべ、又はともべ)、雑戸(ざっこ)の4身分、賤民は陵戸(りょうこ)、官戸(かんこ)、家人(けにん)、公奴婢(くぬひ)、私奴婢(しぬひ)の5身分に分かれていた。賤民は衣服により色分けされていたので五色の賤と呼ばれる。
 
=== 賤民の生業 ===
 
'''陵戸'''は天皇や皇族の陵墓の守衛、'''官戸'''と'''公奴婢'''は[[官田]]の耕作、'''家人'''と'''私奴婢'''は私家の雑用に従事した。
 
=== 賤民の社会的地位 ===
 
'''公奴婢'''や'''私奴婢'''は、売買や質入の対象となるなど、非人道的な扱いを受けた。だが、一定の年齢に達すれば上の階層に上がる事ができる制度などもあり、穢れなどを理由に[[武士]]、[[百姓]]、[[町民]]などと隔絶した一種の身分外身分と言える扱いを受けた[[江戸時代]]の被差別民の身分ほど固定されたものではなかった。一方、奴婢は自らの公認された自立的な共同体を持たず、個人別に良民や朝廷の所有物とされるなど、穢多頭に統率されるなどの形で一定の権利保障の基盤になる共同体組織の保持を保証された江戸時代の被差別民と比べると、権利保障の基盤は脆弱であったとも言える。
 
=== 制度の崩壊 ===
 
朝廷が[[班田制]]と[[戸籍]]制度を基礎にした人民の人別支配を放棄し、[[名田]]経営を請け負う[[田堵]][[負名]]を通じた間接支配への移行により律令制が解体していく過程で、この身分制も次第に有名無実化した。良賤間の通婚も次第に黙認されるようになり、中には賤民と結婚して[[租税]]を免れようとする者も現れた。789年には良賤間の通婚でできた子は良民とされる事になり、907年には奴婢制度が廃止された。よって、古代の賎民と[[中世]]以降の被差別民、さらに近代以降被差別部落と呼ばれるようになった江戸時代の被差別民共同体との歴史的連続性はなく、性質の異なる起源を有したと考えられる。
 
== 関連項目 ==
* [[古代部落]]
 
* [[古代部落律令制]]
 
[[律令制]]
 
 
[[Category:差別|こしきのせん]]