「源頼朝」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
498行目:
頼朝の開いた政権は制度化され、次第に朝廷から政治の実権を奪い、後に[[幕府]]と名付けられ、王政復古まで足掛け約680年間に渡り長く続くこととなる。武家政権の創始者として頼朝の業績は高く評価されており、ほとんどの[[日本人]]は[[義務教育]]で頼朝の名を学んでいる。
 
その一方で、人格は「冷酷な政治家」と評される場合が多い。それは、多くの同族兄弟を殺し、自ら兵を率いることが少なく(頼朝自身は武芸は長けていたといわれるが、戦闘指揮官としては格別の実績を示していない)、主に政治的交渉で[[鎌倉幕府]]の樹立を成し遂げたことによる。判官贔屓で高い人気を持つ末弟・[[源義経|義経]]を死に至らせたことなどから、頼朝の人気はその業績にもかかわらずそれほど高くなく、小説などに主人公として描かれることも稀である。鎌倉時代を得意とする作家の永井路子は、頼朝は勃興する東国武家勢力のシンボルであるとし、その業績をすべて彼個人に帰するような過大評価を戒めているが、一方でその政治的能力、人材掌握力は高く評価し、日本史における組織作りの天才であると評している(「源頼朝の世界」)
 
以上は概ね現代における評価であるが、頼朝は過去にも多くの人物により評されてきた。