「日本海海戦」の版間の差分

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→‎バルチック艦隊: 第1太平洋艦隊の戦艦全てが新鋭ではない。ナヒーモフは装甲巡洋艦。
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== 背景 ==
=== バルチック艦隊 ===
ロシア海軍は[[日露戦争]]開戦時に日本海軍の3倍近い戦力を保有していたが、艦隊を[[バルト海]]、[[黒海]]、[[太平洋]](および若干を[[バレンツ海]])の各方面に分散させていたため、開戦時に対日戦に投入できたのは[[旅順]]および[[ウラジオストク]]を母港とする太平洋艦隊(正式には第1太平洋艦隊)のみであった。ロシア指導部は太平洋艦隊のみでは日本艦隊に対抗できないと判断し、バルト海艦隊(バルチック艦隊)から主力艦艇を抽出して[[極東]]海域へ増派することを決定した。派遣部隊として、[[ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー]]提督を司令長官とし<ref>第2太平洋艦隊副司令官[[ドミトリー・フェルケルザム]]少将は航海中病死し、後任は任命されなかった。</ref>新鋭戦艦85隻を基幹とする[[バルチック艦隊]](正式にはバルト海艦隊から抽出された第2太平洋艦隊)と、[[ニコライ・ネボガトフ]]提督を司令長官とする補助艦隊(同じく第3太平洋艦隊)とが編成された。これらの戦力と既存の艦隊とを合わせれば、日本艦隊の2倍の戦力となるので、戦うまでもなく極東海域の[[制海権]]を確保できると考えた。
 
しかし当時、[[石炭]]補給が常に必要となる[[蒸気船]]からなる大艦隊を、[[水兵]]と武器弾薬を満載した戦時編成の状態で、ヨーロッパから東アジアまで[[回航]]するのは前代未聞の難事であった。さらに、航路は日本と[[日英同盟]]を締結していた[[イギリス]]の制海権下にあり、良質な石炭はイギリスが押さえていたため劣悪な質の石炭しか入手できる見込みはなかった。ロシアと[[露仏同盟]]を結んでいた[[フランス]]や、皇帝同士が姻戚関係にあった[[ドイツ帝国]]も、日英同盟によって牽制を受け、[[中立国]]の立場以上の支援を行うことはできなかった<ref>戦時国際法では、交戦国の軍艦は中立国の港湾での原則24時間以内の滞在が許される。</ref>。