「MIM-46 (ミサイル)」の版間の差分

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== 計画の中止とその後 ==
これらの問題に直面し、1963年ごろより、暫定野戦軍防空研究(IFAADS: Interim Field Army Air Defense Study)が開始された。この研究では、1956年より就役しはじめた海軍の短射程[[空対空ミサイル]]であった[[サイドワインダー (ミサイル)|AIM-9 サイドワインダー]]を地対空ミサイルに転用して短距離防空(SHORAD)を担当させ、これを補完する近距離防空(VSHORAD)兵器として[[M61 バルカン]]と[[FIM-43 (ミサイル)|FIM-43 レッドアイ]]を配備、これらの火力システムと[[:en:AN/MPQ-49 Forward Area Alerting Radar|AN/MPQ-49 前線空レーダー]]を連接することで防空システムを構築することを提唱した。IFAADSで検討された防空システムは、モーラー・システムよりも性能面では劣るが、より堅実・安価であり、しかも早期に実現可能な[[ソリューション]]であった。
 
1963年11月、モーラーは単なる技術実証計画に変更され、1965年11月には完全にキャンセルされた。GTVは計画のキャンセルまで飛行試験を続けた。<ref name=Parsch/>
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IFAADSで提唱された地上発射型サイドワインダーは、[[MIM-72 (ミサイル)|MIM-72A チャパラル]]として1969年5月より配備されはじめた。しかし、MIM-72Aは敵機の後方からしか攻撃できなかった上に、かなり容易に振り切ることができた。このことから、[[イギリス陸軍]]は、バックアップ・プロジェクトとして独自に進めていたET.316計画に主眼を切り替えて、[[レイピアミサイルシステム]]として1971年より配備に入った。
 
アメリカ海軍は、MIM-72をもとに、モーラーで開発された新型赤外線シーカーを搭載したRIM-92C72C シーチャパラルを試験した。これは、MIM-72Aよりも向上した全方位攻撃能力を備えていたものの、やはり要求には達しないとして採用せず、より大型の空対空ミサイルであった[[スパロー_(ミサイル)|AIM-7スパロー]]をもとにした[[シースパロー (ミサイル)#BPDMS|シースパローBPDMS]]を選択した。RIM-92C72C シーチャパラルは、システムごと[[中華民国国軍#海軍|台湾海軍]]に売却された。その後、これと同じシーカーを搭載したMIM-72Cが開発され、これは陸軍のチャパラル・システムで広く使用された。
 
== 脚注・出典 ==