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紀元前424年の大王[[アルタクセルクセス1世]]の死後、その息子で皇太子(正室ダマスピアの息子)の[[クセルクセス2世]]が王位を継いだ。ところがわずか数週間後、異母弟([[バビロニア]]出身の側室アロギュネの息子)のソグディアノスがクセルクセスを暗殺して王位を簒奪した。さらにその数ヶ月後、別の異母弟(バビロニア出身の側室コスマルテュデネの息子で[[ヒュルカニア]]総督)のオコスが蜂起した。ソグディアノスが騎兵隊長アルバリオスに暗殺されたのち、オコスは大王[[ダレイオス2世]]として即位した。
 
以上の事績が[[クニドス]]の歴史家[[クテシアス]]が伝えるところであるが、こんにちの歴史学ではクテシアスの著述は信憑性に乏しいと評価されている。同時代の[[バビロニア]]の史料によれば、おそらくはアルタクセルクセス1世の死後、三兄弟がそれぞれの領地に分立して後継者を自称し、最終的にダレイオスが勝利したと考えるのが妥当である{{要出典}}。アルタクセルクセス1世の最後の碑文は紀元前424年12月24日、ダレイオス2世の最初の碑文は前423年1月10日と年代付けられている。
 
== 文献 ==