「NINTENDO64」の版間の差分

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90年代中期に「[[次世代機]]」と呼ばれたゲームハードの一つで、任天堂としては初めて本格的な[[3次元コンピュータグラフィックス|3D]]ゲームに対応した。第5世代としては最も後発であり、スペック上の性能も他の機種に比べ、[[Zバッファ]]を初めて採用しているなど特に3Dの演算能力が高く、高機能なものになっている。
 
当時グラフィックス[[ワークステーション]]メーカーだった[[シリコングラフィックス|SGI]]と提携して開発が行われた。メイン[[CPU]]には64ビット[[RISC]]の[[ミップス・テクノロジーズ|MIPS]] [[R4000|R4300]]カスタム、32ビット[[RISC]]の[[R3000]]をコアに持つグラフィックエンジンであるRCP (Reality Co-Processor)、[[主記憶装置|メインメモリ]]には当時はまだ珍しかった高速な[[RDRAM|Rambus DRAM]]を採用するなど、先鋭的なハードウェア構成となっている。64ビットのR4300カスタムは最高122[[MIPS]]の処理能力を発揮することができ<ref>競合機種の一つ[[プレイステーション]]の搭載する[[CPU]]の約4倍の処理能力にあたる。</ref>、[[ポリゴン]]機能は環境マッピングやトライリニアといった本格的なテクスチャ・マッピング処理にも対応していた。先代機種の[[スーパーファミコン]]の35倍もの性能を誇る持つ
 
SGIとの当時の企画内容には、「子供たちにOnyxを」とある。SGI Onyxは当時の[[スーパーコンピュータ]]並みの性能を誇ったSGIのグラフィック・ワークステーションで、当時の価格は数千万から一億円ほどで、とても一般家庭の子供には手の届くものではない。任天堂とSGIは徹底的に性能を絞り込み、このNINTENDO64を完成させた。本来ならばさらに高額であるべきの性能のゲーム機を、徹底的にコスト削減を図って小売価格を25000円にまで価格を抑え込んだ。発売前の時期には「25000円のスーパーコンピュータ」とまで言われた。
 
ハード設計にあたっては、[[レア (企業)|レア]]のクリス・スタンパーがコンサルタントとして半年間参加した。これを作るという意思決定は任天堂だが、設計提案については、25%が任天堂で75%はSGIであった。
 
ゲームソフトの供給媒体には、当時主流となりつつあった[[CD-ROM]]ではなく[[ロムカセット|ROMカセット]]を採用。ゲームデータを高速に読み込め、ストレスのないプレイ環境を重視ている
 
コントローラーは優れた操作性を実現するために、三つ又の独特な形状を採用。コントローラー中央にアナログスティック「3Dスティック(サンディスティック)」を装備し、新しいゲーム感覚をアピールした。しかし、小さい子供に対してはコントローラが大きすぎるという点もあった。レフトポジション、ライトポジション、ファミコンポジションなど握り方が多数存在する特異なコントローラである。
 
また、それまでは2つが主流だったコントローラー端子は本体に標準で4つ用意されており、はじめから多人数プレイを想定した設計となっている。4人対戦対応ソフトも数多く開発された。
 
最終的に日本国内では554万台、国外で2738万台、計3292万台が出荷された。[[韓国]]ではまだ任天堂が現地法人を立ち上げる前であり、現代電子産業(現在の[[ハイニックス半導体]])がライセンスを得る形でて、「ヒョンデ・コンボイ64」の名称を付けて発売され、独自した。本体「ヒョンデ・コンボイ64」と「NINTENDO64」のロゴが「NINTENDO64」と併記する形で付けらていた。
 
== 仕様 ==