「片岡仁左衛門 (12代目)」の版間の差分

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明治18年 (1885) 東京・千歳座で本名の片岡東吉で初舞台を踏み、その後二代目[[片岡土之助]]を経て明治34年 (1901) 四代目[[片岡我童]]を襲名。
 
昭和11年 (1936)、東京・[[歌舞伎座]]『馬切』の織田信孝で十二代目[[片岡仁左衛門]]を襲名。この当時、東京歌舞伎では[[女形]]が不足していたため、関西歌舞伎の仁左衛門も招きを受け、[[市村羽左衛門 (15代目)|十五代目市村羽左衛門]]の相手役を多く務めた。当り役は「に『[[生写朝顔話]]』(朝顔日記の深雪、『[[壇浦兜軍記]]・琴責の阿古屋などがある。
 
戦後まもない昭和21年 (1946) 3月16日、東京の自宅で夫人・三男・女中二人とともに、住み込みの門人によって薪割り用の[[斧]]で殺害された([[片岡仁左衛門一家殺害事件]])。