「ランディ・レディ」の版間の差分

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Fielder (会話 | 投稿記録)
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|選手名 = ランディ・レディ
|英語表記 = Randy Ready
|所属球団 = サンディエゴ・パドレス
|背番号役職 = コーチ
|背番号 = 33
|選手写真ファイル名 =
|写真サイズ =
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|守備位置 = [[外野手]]、[[三塁手]]、[[二塁手]]
|プロ入り年度 = 1980年
|ドラフト順位 = MLBドラフト6巡目
|初出場 = MLB / 1983年9月4日<br />NPB / 1996年
|最終出場 = MLB / 1995年7月9日<br />NPB / 1996年
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* フィラデルフィア・フィリーズ (1994 - 1995)
* [[千葉ロッテマリーンズ]] (1996)
|経歴補足題 = コーチ歴
|経歴補足 = <nowiki></nowiki>
* サンディエゴ・パドレス
|選出国 =
|選出年 =
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}}
'''ランディ・レディ'''('''Randy Max Ready''' , [[1960年]][[1月8日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]]、[[外野手]])。{{by|1996年}}に[[千葉ロッテマリーンズ]]に所属した。
 
現在は[[サンディエゴ・パドレス]]の打撃コーチを務める。
 
== 来歴 ==
{{by|1980年}}の[[ドラフト会議 (MLB)|MLBドラフト]]6巡目で[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]に入団。{{by|1983年}}、[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]初昇格。{{by|1986年}}シーズン途中に[[サンディエゴ・パドレス]]に移籍し、翌{{by|1987年}}は[[規定打席]]にわずかに不足ながら[[打率]].309、12[[本塁打]]、54[[打点]]をマークした。
 
{{by|1996年}}に[[千葉ロッテマリーンズ]]に入団。[[登録名]]は'''スパイク'''<ref>子供の頃からの愛称。名前の「レディ」が弱そうなイメージがするため(つづりはreadyだが、女性を意味するladyとも発音は同じである)、「勇敢」を意味するスパイクを愛称にした。</ref>、[[背番号]]'''21'''。当時ロッテで[[ゼネラルマネージャー|GM]]を務めていた[[広岡達朗]]が同時入団の[[ジャック・ドウティー]]と同じく「シュアな打撃を買った」ことによる理由で獲得したが、メジャーの実績がランディの方が豊富な分、期待は大きかった。
 
しかし来日当時36歳とすでに選手としては峠を越えていて、直球には力負けし、変化球には全くタイミングが合わないなどジャックと同じような流れで不振が続いた。結局ジャックよりは多少マシな数字を残したとは言え五十歩百歩で、ジャック解雇後間を置かずして戦力外となった。この外国人コンビの極度の不振はチームの得点力不足を招き、この年のロッテのBクラス転落、さらには広岡の辞任へとつながっていった。
 
== 年度別打撃成績詳細情報 ==
=== 年度別打撃成績 ===
{| {{年度別打撃成績}}
|-
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|30||107||90||3||18||4||0||1||25||11||0||0||0||1||15||0||1||22||0||.200||.318||.278||.596
|}
 
=== 背番号 ===
* '''21''' (1996年)
 
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
{{MLBstats |mlb= |espn= |br= r/readyra01 |fangraphs= 1010738 |cube= R/randy-ready}}
 
{{サンディエゴ・パドレス}}
 
{{DEFAULTSORT:れてい らんてい}}