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準備会合
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コロンボ会議
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'''アジア・アフリカ会議'''(''Asian-African Conference''、'''AA会議''')とは、[[インド]]の[[ジャワハルラール・ネルー|ネルー]]首相、[[インドネシア]]大統領[[スカルノ]]、[[中華人民共和国]]首相[[周恩来]]、[[エジプト]]大統領[[ガマール・アブドゥン=ナーセル|ナセル]]が中心となって開催を目指した会議の総称。
 
[[1954年]][[4月28日]]~[[5月2日]]に[[スリランカ]]の[[コロンボ]]で開催されていた[[コロンボ会議]]で、アジア・アフリカ会議を開催する構想が生まれた。コロンボ会議には、アリ・サストロアミンジ(インドネシア首相)、シュリ・バンディット・ジャワーハルラール・ネール(インド首相)、モハマッド・アリ・ジナ(パキスタン首相)、ジョン・コタラーワラ(スリランカ首相)、ウーヌー(ビルマ首相)の5人が出席していた。この会議でインドネシア首相がアジア・アフリカ会議の必要性を表明し、他の4人は検討し、第1段階として[[ボゴール]]で1954年12月28日~29日に準備会合を開いた。5カ国会議として知られている。
 
[[1955年]]に[[インドネシア]]の[[バンドン]]で第1回が開催されたが、第2回は開催されなかった。そのため'''バンドン会議'''がAA会議のことを表すこともある。
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[[ファイル:Gedung.Merdeka.jpg|thumb|250px|バンドン会議の議場(1955年当時)]]
[[ファイル:Musium KAA.jpg|thumb|250px|現在(2007年。博物館として使用。)]]
特にその第1回会議を'''バンドン会議'''(''Bandung Conference'')、または'''第1回アジア・アフリカ会議'''と呼ぶ。参加国はアジア・アフリカの29ヶ国であり、<!--他の会議と間違っている。--日本からは[[鳩山一郎]][[首相]]の代理として[[高碕達之助]][[経済企画庁長官]]が出席した。-->この会議によって、[[平和五原則]]を拡張した[[平和十原則]]が定められた。
 
バンドン会議を皮切りに、継続的に開催される予定であったが、[[中印国境紛争]]やナセルのアラブ連邦形成の失敗などにより指導者間の統一が乱れ、[[1964年]]に予定されていた第2回会議とそれ以降は開催されなかった。しかし、その精神は[[1961年]]9月に開催された第1回[[非同盟諸国首脳会議]]に引き継がれたと言える。
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[[第二次世界大戦]]後、アジア諸国が欧米の植民地支配から脱しようとするなか、欧州諸国は日本に占領されていた東南アジアの再植民地化を行おうとし、また、新たに米ソの[[冷戦]]構造がアジア・アフリカに波及したため、[[インドシナ戦争]]や[[朝鮮戦争]]が引き起こされた。
 
こうした中、[[1954年]]に印中首脳会談においてネルーと周恩来が[[平和五原則]]を発表し、[[1954年]][[4月28日]]~[[5月2日]]に[[スリランカ]]の[[コロンボ]]で開催されていた[[コロンボ会議]]で、アジア・アフリカ会議を開催する構想が生まれた。コロンボ会議には、アリ・サストロアミンジ(インドネシア首相)、シュリ・バンディット・ジャワーハルラール・ネール(インド首相)、モハマッド・アリ・ジナ(パキスタン首相)、ジョン・コタラーワラ(スリランカ首相)、ウーヌー(ビルマ首相)の5人が出席していた。この会議でインドネシア首相がアジア・アフリカ会議の必要性を表明し、他の4人は検討し、第1段階として[[ボゴール]]で1954年12月28日~29日に準備会合を開いた。<ref>イ・ワヤン・バドリカ著 2008年 351-356ページ</ref>インド・[[東南アジア]]の5ヶ国による[[コロンボ会議]]によりインドシナ戦争の早期停止などが訴えられた。コロンボ会議に参加した5ヶ国は「'''コロンボ・グループ'''」と呼ばれる。この会議の議題は次のようなものであった
*アジア・アフリカ各国間の協力、相互利益、友好の推進
*代表各国関係および社会・政治・文化問題の検討
*国家の主権、民族問題、植民地主義などの、アジア・アフリカ諸国にとって特に重要な諸問題の検討
*現代における、世界の、特にアジア・アフリカの諸国民の地位と、世界平和の推進のために可能である貢献の検討
 
これら5ヶ国とエジプト・中国が中心となって、翌[[1955年]][[4月18日]]にアジア・アフリカ会議の開催を実現させた。これは初の非白人国家だけによる国際会議であるとされる。30カ国が招待されていたが、中部アフリカの[[ローデシア]]は国内の情勢不安定のために参加できず、29カ国の参加で開催された
 
== バンドン会議における意義 ==
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また直前に発生した[[中華人民共和国]]における[[反日運動]]に関し、日本の内閣総理大臣[[小泉純一郎]]は日本の戦争における歴史認識に関し、[[1995年]][[8月15日]]に当時の総理大臣であった[[村山富市]]の談話(いわゆる「[[戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話|村山談話]]」)を引き継ぐ声明を発した。
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
*イ・ワヤン・バドリカ著、石井和子監訳、桾沢英雄・菅原由美・田中正臣・山本肇訳『世界の教科書シリーズ20 インドネシアの歴史-インドネシア高校歴史教科書』明石書店 2008年9月 ISBN 978-4-7503-2842-3
 
== 関連項目 ==