「円谷優子」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Milkteas (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
30行目:
 
== 来歴 ==
[[東京都]]出身。[[モモコクラブ]](桃組1980番)を経て、[[堀越高等学校]]在学中の[[1988年]][[9月7日]]、バップから『HELP』で歌手デビュー。この時期に当時の所属[[芸能事務所]]、[[研音グループ|研音]]の先輩であった[[中森明菜]]が『[[ミュージックステーション]]』出演時に「今度うちの事務所から円谷優子ちゃんという子がデビューします。とても歌の上手い子なので、是非応援して下さい」と発言したことが話題となった。
 
[[康珍化]]のプロデュースを受け、シングル、アルバムをリリース。康の歌唱指導がきわめて厳しかったというエピソードも明かしている。メッセージソング的な歌が多く、アイドルというよりは、少しアーティスティックな印象だった。タイアップ等もあったがテレビの出演機会は少なく、ヒットにも恵まれなかった。当時、円谷の歌唱力を高く評価していた[[音楽評論家]]の能地祐子は「こういう歌手が活躍する場のない今の芸能界が悲しい」とコメントしている。
 
1989年には[[オリジナルビデオアニメーション]]「[[ハイスピード・ジェシー]]」のヒロイン「ティアナ」役で声優としてデビュー。オープニング、エンディングテーマも共に自身で歌っている。