「日野業子」の版間の差分

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宮中に影響力を持っていた叔母の[[日野宣子]](岡松一品)が仲介し、1375年に足利義満と結婚する。義満が京都に[[花の御所]]を造営し、共に移る。業子は[[和歌]]に秀でていたことから義満の寵愛を受けたとされ、義満の計らいで従一位・准后となった。二人の間に成長した子はいない。ただし、『[[系図纂要]]』には[[仁和寺]][[門跡]][[法尊]]を業子所生とする記述がある。1405年に55歳で死去。法名は定心院。
 
業子と義満の婚礼により、[[持明院統]]の[[公家]]であった[[日野家]]は朝幕政界に影響力を強める。義満はその後、姪に当たる[[日野康子]]と婚し、康子が正室の座を引き継ぐ。
 
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