「ヨセフ・ルクル・フロマートカ」の版間の差分
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'''ヨセフ・ルクル・フロマートカ'''({{lang-cs|Josef Lukl Hromádka}}、[[1889年]][[6月8日]] - [[1969年]][[12月26日]]))は[[チェコ]]の[[プロテスタント]][[神学者]]。日本では元外交官の[[佐藤優 (外交官)|佐藤優]]が自著で紹介したり、翻訳を出したりしている。
== 生涯 ==
チェコ東部[[モラヴィア・スレスコ州]]の街[[:cs:Hodslavice]]に生まれる。[[ウィーン]]、[[バーゼル]]、[[ハイデルベルク]]、[[アバディーン]]で神学を、[[プラハ]]で哲学を学ぶ。[[1939年]]に渡米、[[プリンストン大学]]の客員教授になった。その後[[アメリカ合衆国]]に留まらず、敢えて[[第二次世界大戦]]後の[[1947年]]に[[共産主義]]政権下のチェコスロバキアに帰国、[[マルクス主義]]との対話を推進した為、西側の神学者達から「赤い神学者」というあだ名を付けられた。最後まで[[キリスト教]]の信仰を捨てなかったが、共産主義体制の崩壊を目撃出来ないままプラハの病院で亡くなった。
== 著作 ==
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*『なぜ私は生きているか――J・L・フロマートカ自伝』新教出版社 2007年
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[[Category:キリスト教神学者]]
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[[cs:Josef Lukl Hromádka]]
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