「レダと白鳥」の版間の差分

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この絵画の構図は多くの模写、模造によって知られている。コルネリス・デ・ボスの版画(1563年ごろ)、バルトロメオ・アマナティ ([[:en:Bartolomeo Ammanati|en:Bartolomeo Ammanati]]) の大理石彫刻(バルジェッロ美術館、フィレンツェ)、若年の[[ルーベンス]]がイタリア滞在時に模写した二枚の絵画(1530年ごろ、[[ナショナルギャラリー (ロンドン)|ナショナル・ギャラリー]]、[[ロンドン]])などである<ref>Elfriede R. Knauer, "Leda" ''Jahrbuch der Berliner Museen'' '''11''' (1969:5-35) illustrates several copies as well as an engraving of a Roman bas-relief and examples of antique engraved gems that seem to have provided Micelangelo's inspiration and gives a full bibliography of Michelangelo's ''Leda''.</ref>。1530年ごろに描かれたこの作品で、レダは[[マニエリスム]]の特徴とも言える、長く引き伸ばされてねじれたポーズで描かれており(「蛇のような人体 ''figura serpentinata''」)、これはその当時よく見られた表現手法であった。さらにプラドにあるローマ時代の彫刻群はミケランジェロの作品であると、少なくとも19世紀までは信じられていた<ref>It belonged to [[ジョン・エヴァレット・ミレー|John Everett Millais]] and was included in his 2007 [[テート・ブリテン|Tate Britain]] exhibition. Now London, attributed to a 16th-century "follower of Michelangelo".</ref>。
 
[[ファイル:Correggio 038.jpg|thumb|コレッジョの絵画(1531年 - 1532年) [[絵画館 (ベルリン美術)|絵画]](ベルリン)]]
ルネサンス期における最後の有名な『レダと白鳥』は、[[コレッジョ]]が1530年ごろに描いた、ベルリン美術の[[絵画 (ベルリン)|絵画館]]所蔵の緻密な構成の作品である。この絵画は[[ルイ15世 (フランス王)|フランス王ルイ15世]]の摂政で、絵画収集家としても知られる[[フィリップ2世 (オルレアン公)|オルレアン公フィリップ2世]]が所有していたときに大きな損傷を受けた。彼の息子の[[ルイ・ド・ブルボン (オルレアン公)|ルイ]]も熱烈なまでの芸術愛好家だったが、自身の行動に対する周期的な道徳心の高下に悩まされており、あるときこの作品に描かれたレダをナイフで切り裂いたのである。修復はされたものの、完全にもとの状態に戻すことは不可能だった。
 
ダ・ヴィンチとミケランジェロの『レダと白鳥』は、どちらもフランス王家が所有していたときに失われた。絵画の所有者の死去後、残された道徳心の強い未亡人あるいは絵画の相続人によって破棄されたものと考えられている<ref>Bull p169</ref>。