「マクデブルクの戦い」の版間の差分

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[[ファイル:Sack of Magdeburg 1631.jpg|thumb|300px|包囲される[[マクデブルク]]]]
[[ファイル:Magdeburg 1631.jpg|thumb|300px|破壊される[[マクデブルク]]]]
'''マクデブルクの戦い''' ({{lang-de-short|Magdeburgs Opfergang}} あるいは {{lang|de|Magdeburger Hochzeit}})は[[三十年戦争]]において[[1630年]]11月から[[1631年]][[5月20日]]にかけて、[[カトリック教会|カトリック]]である[[神聖ローマ帝国]]軍によって行われた、[[ルター派]]([[プロテスタント]])の[[ハンザ同盟]]都市[[マクデブルク]]の包囲戦及び戦闘終了後の[[略奪]]。略奪については'''マクデブルクの惨劇'''<ref name="kiku">[[菊池良生]]著『戦うハプスブルク家―近代の序章としての三十年戦争』115頁・116頁、講談社 ISBN 4-06-149282-9</ref>といった表現も用いられる。
 
[[ゴトフリート・ハインリヒ・グラーフ・フォン・パッペンハイム]]及び[[ティリー伯ヨハン・セルクラエス]]に率いられた皇帝軍は富裕な都市マクデブルクを包囲した後陥落させた。
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*Firoozi, Edith, and Ira N. Klein. ''Universal History of the World: The Age of Great Kings.'' Vol. 9. New York: Golden Press, 1966. pp. 738-739.
*von Schiller, Johann Christoph Friedrich. ''The History of the Thirty Years' War.'' 1791. pp. 177-190.
 
== 関連項目 ==
*[[オットー・フォン・ゲーリケ]] - マクデブルク市長・科学者。惨劇後の復興に尽力した。
*[[正戦論]]
 
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