「シカン文化」の版間の差分

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[[画像ファイル:Ethnologisches Museum Dahlem Berlin Mai 2006 002.jpg|thumb|[[トゥミ]]と呼ばれる裕福な家庭の副葬品である儀礼用ナイフ。伝説の人物[[ナイムランプ]]の意匠。]]
[[画像ファイル:Cantaro rostro dios sican.jpg|thumb|神聖な顔を模った水差し]]
[[画像ファイル:Tucume Ueberblick.jpg|thumb|トゥクメの[[ワカ]](建造物)群]]
 
'''シカン文化'''(-ぶんか;'''Sicán''')は[[ペルー]]北部沿岸で[[750年]]~[[1350年]]頃の[[プレ・インカ]]時代に栄えた[[考古文化]]。[[島田泉 (考古学者)|島田泉]]により名づけられた。「シカン」とは「月の神殿」を意味する<ref>2009年8月8日「[[日立 世界・ふしぎ発見!]]」の現地から録画出演の[[島田泉 (考古学者)]]の解説</ref>。 地名から[[ランバイエケ文化]]とも呼ばれるが、これらが別々の文明なのかどうかは論争の的となっている。文化的変動に基づき、前期・中期・後期の3つの時代に分かれる (<ref>Sican 2007)</ref>
 
== 時代区分 ==
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後期シカン時代は1100年頃始まって1375年頃の[[チムー王国]]による征服で終わった。1100年頃、バタン・グランデの地は放棄され、焼かれた。新たな中心地は[[トゥクメ]]に移った。これは30年以上続いた旱魃のせいとされている。
 
シカン文化の人々は黄金で装飾された儀礼用のナイフ、[[トゥミ]]を使用していた。最初期のトゥミが発見されたのはこの時代からだった(<ref>BBC 2006)</ref>
 
== 地理 ==
シカンは海岸沿いの地域で、ペルー北部から[[エクアドル]]との国境近くまで広がっていた。その範囲はランバイエケ地方に及び、モトゥペ(Motupe)、ラ・レチェ(La Leche)、ランバイエケ(Lambayeque)、サナ(Zana)渓谷(現・[[チクラヨ]]付近)を含む(<ref>Sican 2007)</ref>
 
== その他 ==
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== 脚注 ==
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<references />
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[ポマ森林歴史保護地区]]
 
 
==外部リンク==