「シビーユ (エルサレム女王)」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
LaaknorBot (会話 | 投稿記録) m ロボットによる 追加: no:Sibylla av Jerusalem |
|||
59行目:
ギーは強硬派の[[ルノー・ド・シャティヨン]]と組み、1187年7月4日の[[ハッティンの戦い]]で大敗し、自らは捕虜となっている。
エルサレムに残っていたシビーユはバリアン・ド・イベリンに防衛を委ね、開城が決まると娘達と[[トリポリ (レバノン)|トリポリ]]に移った。1188年にギーが解放されると、共に[[ティルス|ティール]]に向かったが[[コンラート1世 (モンフェラート侯)|モンフェラート侯コンラッド]]に入城を拒否され
== 備考 ==
|