「ロベルト・カンピン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Xqbot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: pms:Robert Campin
29行目:
当時の装飾写本画家たちの強い影響は見られるが、カンピンの絵画はそれまでにない徹底した写実性が見られる。それまでの[[テンペラ]]ではなく、新技術の油絵具を使いこなし、美しい色彩を表現した最初の画家の一人だった。油彩という新しい技法で明暗を描き出すことで、絵画に立体感や複雑な遠近感などを構成することに成功したのである。また、[[ヤン・ファン・エイク]]の作品に見られるとされている複雑な[[寓意]]象徴主義が、カンピンの作品にも存在するのかどうかについては依然として議論の対象となっている。
 
美術史家たちは「[[北方ルネサンス]]」の起源がどこなのかを、イタリアルネサンスのそれよりもはるかにわずかな手がかりをもとに熱心に研究してきた。そして長い間ヤン・ファン・エイクこそが、装飾写本絵画をパネル絵画へと革新した最初の画家であると信じられてきた。
 
しかし19世紀の終わりごろには、ファン・エイクも当時活躍していた画家の一人であり、同じようなスタイルで描かれたファン・エイク以外の作品が他にも存在することが明らかになってきた。有名な作品に1428年の日付が入った『'''メロードの祭壇画'''』 ([[:en:Mérode Altarpiece]]) があげられる。現在この[[祭壇画#三連祭壇画|三連祭壇画]]は[[メトロポリタン美術館]]別館のクロイスターズ所蔵で、細部まで注意を払って写実的に描かれている。フレマール大修道院(かつてフレマールに設立されていたといわれたが、このような修道院はフレマールにはなかった)由来と見られる、現在は[[フランクフルト・アム・マイン]]にある、『メロードの祭壇画』とよく似た作風のパネル絵が他にも3枚存在している。これらのパネル絵の作者は同一人物であるとされ、その作者が「フレマールの画家」と呼ばれるようになったが、当時その画家が誰であるのかを特定することは出来なかった。