「中原の虹」の版間の差分

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:ヌルハチの八男。母は[[海西女直]]の[[葉赫那拉氏|イェヘ=ナラ氏]]の孝慈高皇[[:zh:葉赫那拉·孟古|葉赫那拉·孟古]]。1636年(天聡十年)、国号を[[清|大清]]と改め[[皇帝]]となった。[[1643年]]、山海関の守りを破れず、明の征伐を果たせぬまま急死した。黑還勃烈が皇太極を名乗った由来には定説が無い。モンゴル族と女真族を統一する際、モンゴル族の[[ハーン]]を名乗るためには[[チンギス統原理]]に従い[[ボルジギン氏]]である必要があったことから、統一当時の名前は皇太極ではなかったと考えられている。また、[[:zh:愛新覺羅·皇太極#皇太极的本名|ホンタイジの本名についての研究]]にあるように「勃烈」は名前の一部ではないという学説があり、本小説ではその説を採用して幼名をヘカンと呼んでいる。
;英親王 / 愛新覚羅(アイシンギョロ)阿済格([[:zh:爱新觉罗阿济格|アジゲ]])
:ヌルハチの第十二子。母はウラ・ナラ氏出身の[[:zh:烏拉那拉·阿巴亥|孝烈武皇后]]烏拉那拉·阿巴亥(ウリナラ・アバハイ)。多爾袞([[ドルゴン]])と多鐸([[:zh:愛新覺羅·多鐸|ドド]])は同母弟。
;睿親王 / 愛新覚羅(アイシンギョロ)多爾袞([[ドルゴン]])
:ヌルハチの十四男。ホンタイジの死後、兄の妻であり順治帝の母である[[:zh:孝莊文皇后|孝莊文皇后]]を娶った。