「アンナ・マクダレーナ・バッハ」の版間の差分

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== 生涯 ==
 
1720年には、[[レーオポルト (アンハルト=ケーテン侯)|アンハルト=ケーテン]]侯レーオポルト]]の宮廷[[ソプラノ]]歌手として[[ケーテン]]では有名だった。同地で1717年より宮廷楽長を務める[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]と知り合いとなるが、ヴィルケ家とバッハ家は、音楽家同士として早くから交流があった可能性が高い。1721年12月3日に結婚した。
 
バッハとの間に、1723年から1742年までおよそ20年にわたって13人の子をなしたが、そのうち7人は早世している。生き延びた子のうち、作曲家として名をげたのが、[[ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ]]と[[ヨハン・クリスティアン・バッハ]]であった。
 
バッハとは、共通する音楽への関心によって結ばれ、幸せな家庭生活を送ったとされており、しばしばバッハの浄書稿や筆写譜の作成に協力した。このためアンナの筆跡は、時を経るにつれて、次第に夫のそれと似るようになったと言われている。