「ウルグ・ベク・マドラサ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Chokorin (会話 | 投稿記録)
加筆、出典節の設置、+出典、新節「概要」「脚注」「関連項目」
1行目:
[[ファイル:Ulugbek Madrasa 2007.jpg|thumb|right|300px|ウルグ・ベク・マドラサ]]
 
'''[[ウルグ・ベク]]・マドラサ'''([[英語]]:Ulugh Beg Madrasah)とは、[[ティムール朝]]第4代君主[[ウルグ・キスタン]][[古都1394年]] - [[サマルカンド1449年]]あるよって現在の[[レギウズベキスタン広場]][[神学校サマルカンド]]に建てられた[[マドラサ]]をいう([[神学校]])
 
== 概要 ==
[[1417年]]、ウルグ・ベクは[[古都]]サマルカンドの中心、現在の[[レギスタン広場]]<ref>レギスタンとは「砂地」の意味。</ref>にマドラサの建設を開始した。それがウルグ・ベク・マドラサである。このマドラサは[[1420年]]に完成した。レギスタン広場は、[[14世紀]]後半には商業地であったが、[[15世紀]]前半にウルグ・ベクがマドラサや[[モスク]]を建てたことにより、様相がかわったといわれる<ref>現在、レギスタン広場には3つのマドラサが建っている。</ref>。ウルグ・ベクはまた、1420年にはサマルカンド郊外の小丘に[[ウルグ・ベク天文台]]を建設している。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references /><div class="references-small"></div>
 
== 関連項目 ==
*[[ウルグ・ベク]]
*[[レギスタン広場]]
*[[イーワーン]]
 
== 参考文献 ==
* [[朝日新聞社]]編『シルクロード紀行 No.11 サマルカンド/ブハラ』朝日新聞社&lt;週間朝日百科&gt;、2005年12月。
 
{{substub}}