「パルミーロ・トリアッティ」の版間の差分
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そのリーダーシップの下で、イタリア共産党はイタリアで最大の党となり、ヨーロッパで最大の統治しない共産党になった。共和制移行後のイタリアでは政権に入ることはなかった(王政末期には副首相・法務大臣を歴任していた)が、多くの[[地方自治体]]を運営し、大きな影響力を行使した。
[[1964年]]、[[ニキータ・フルシチョフ|フルシチョフ]]失脚後のソ連を訪問し、ヤルタで休暇中に脳内出血で急死した。ロシア中部の自動車の町[[トリアッチ]]は彼の支援で[[フィアット]]との合弁企業[[アフトヴァー
{{DEFAULTSORT:とりあつてい はるみろ]}}
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