「北帰行」の版間の差分

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作者 宇田博は元々[[建国大学]][[予科]] ([[満州国]][[長春|新京]]) の生徒だったが半年で退学となり、昭和15年 ([[1940年]])、開校したばかりの旧制旅順高等学校に入学した。宇田は同校の第一回寮歌 『薫風通ふ春五月』 (村岡楽童 作曲) を作詞している。しかし戦時体制下の新設校だった同校に、宇田の望んだ[[バンカラ]]で自由な校風は存在せず、彼は常々生活指導の教官に目を付けられていた。
 
昭和16年 (1941年) 5月、宇田はメッチェン (女の子) とデートして戻ったところを教官に見つかり、"性行不良"で退学処分となった。彼が同校への訣別の歌として友人たちに遺した歌が、この '''北帰行''' である。そのため、同校の正式の寮歌ではないが、広義の寮歌として歌われてきた。宇田はその後 [[内地]]に渡り、 [[第一高等学校 (旧制)|旧制第一高等学校]] (一高) を卒業した。彼は[[東京大学]]を経て[[東京放送]] (TBS) に入社し、後に同社の常務・監査役を歴任している。
 
==継承==
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旧制旅順高等学校は、昭和20年 ([[1945年]]) 8月、日本の[[第二次世界大戦]]敗戦と共に廃校となった。他の[[旧制高等学校]]と異なり後身校は存在せず、寮歌としての歴史はここで終了となった (寮歌祭では、同校同窓生により寮歌の一つとして歌われ続けている)。一方で、この歌は戦後、[[うたごえ運動|歌声喫茶]]で作者不詳の歌として流行した。恐らく、作者の卒業した一高・東大あたりから歌声喫茶に広まったものと思われるが、詳らかでない。
 
昭和36年 (1961年)、この歌は[[コロムビアミュージックエンタテインメント|日本コロムビア]]のプロデューサや小林旭に見い出され、同社からレコード化されて大ヒットした。(この際 作者捜しが行われ、当時 TSBTBS社員だった宇田の名乗り出・旅順高校時代の友人が持っていたメモから、作者が確定したという。) 歌のヒットにより、小林が主演する映画 『渡り鳥シリーズ』 の昭和37年 ([[1962年]]) 正月封切り版 『北帰行より 渡り鳥北へ帰る』 の主題歌となった。
 
==関連項目==